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BOXINGTIMES LEGEND vol.2
初代世界ヘビー級王者ジョン・エル・サリバン
2015.03.25 update

今からはるか100年以上前、ボクシングは素手で殴り合う「ベアナックル」の時代だった。それだけに悲惨なまでの死闘が繰り返され、当然のように「グローブ・ファイト」を望む声が高くなった。その過渡期に強烈な足跡を残したのが、初代世界ヘビー級王者、ジョン・エル・サリバン(米国)である。左右フックを振り回す豪快なスタイルが人気を呼び、絶対的な存在でもあった。古き良き時代の伝説、「ボストン・ストロング・ボーイ」は波乱万丈の人生を歩み続けた。


サリバン 絵本名ジョン・ローレンス・サリバンことジョン・エル・サリバンは1958年10月15日、ボストン郊外のロクスベリー・コンコルド街で生まれた。両親は純粋なアイルランド人で、祖父は名レスラーだったという。生まれながらに格闘家の資質を持っていたのかもしれない。高校時代は野球、レスリングにも夢中になった。ボストン大学に進み、両親はサリバンが神父になることを望んでいた。しかし、本人は退屈な学生生活が性に合わず、2年で中退。この大学を辞める決断が運命を変えることになる。

ある日、ボストン市内を散歩していると、大きな声が耳に飛び込んできた。「俺とファイトして、ダウンしなかったら賞金をあげるぜ」。いわゆる飛び入り試合の呼び込みだ。サリバンは友人にけしかけられ、しぶしぶリングへ。ボクシングの経験は少なく、サリバンは怖かったという。試合が始まり、いきなり強烈なパンチを浴びた。この一発で目が覚めた。サリバンは相手のアゴに強烈な一打を見舞い、KO勝ちを収めた。「すごい男がいる」。噂はすぐに広まり、プロボクサーが誕生した。

78年、19歳でデビュー。自慢の強打は本物で、あっという間にスターの座をつかんだ。当時は非合法のベアナックル時代だったが、「ボストン・ストロング・ボーイ」の異名で人気もグングン上昇する。ニューヨークに遠征、暴れ回ったことも。〝恐怖の牛首〟とも言われたジョン・フラッドをハドソン河畔のいかだの上でたたきつぶし、周囲の度肝を抜いた。そのほか、名だたる男たちも相手にせず、名前はさらに知れ渡る。

こうして82年2月、世界王者パディ・ライアンへの挑戦が実現した。当初、ニューオーリンズで行われる予定だったが、ルイジアナ当局が認めず、試合を強行すれば全員を逮捕するという。仕方なく世界戦の前日、ミシシッピー州に移動し、ファンを満載した特別列車まで用意された。綱渡りの中、何とかゴングが鳴らされた。

リングに立った両雄を見たファンの間から思わず失笑がもれたという。王者は巨体で頑強。それに比べサリバンはひ弱に感じられた。しかし、試合が始まるとサリバンの攻撃力が目立つ。特に右の威力が抜群。ライアンは後退するばかり。初回に早くもダウンを奪い、2、3回は腰投げの応酬。中盤を過ぎると王者の出血は増し、サリバンの強打が面白いようにヒット。9回、ついにライアンは気絶。新たなヒーローが誕生した。

サリバン 構えサリバンはまさに無敵状態。並み居る強豪を次から次に倒していく。そして、グローブ使用にも関心が高く、85年8月、ドミニク・マカフリー戦では4オンスのグローブを使ったクインズベリー・ルールで行われた。初代世界ヘビー級王座の解釈は諸説あるが、史家の間ではマカフリーとの王座決定戦を第1号に認定する話が通説となっている。この試合が近代ボクシングへの橋渡しとなったのも事実だ。

その中、1人のライバルが現れた。ポリス・ガゼット(スポーツ大衆紙)が認定する王者ジェーク・キルレインだ。7日間に7人をKOしたエピソードを持つ豪傑である。最後のベアナックルによる世界戦としても注目され、89年7月、両雄は顔を合わせた。観衆は約5000人。スタートから予想通り、激しい打ち合いになった。お互いのプライドがぶつかり、試合は延々と続く。そして75回、ついにサリバンがKO勝ちした。2時間16分23秒を要した文字通りの死闘。最後にキルレイン側からスポンジが投げ込まれた時、2人とも血まみれだったという。レフェリーはあまりの凄惨さにリング外から指示を出したほど。信じられないような凄いファイトが歴史には眠っている。

サリバンは私生活の方も豪快そのもの。酒をたらふく飲み、女性におぼれ、体力も次第に衰えていく。それでも人気は絶対で、エキシビション戦でもお金が入ってくる。その男の座を虎視眈々と狙っている1人のボクサーがいた。銀行員上がりのジム・コーベットで、実力を買う声は高かった。コーベットは珍しくフットワークを生かしたアウトボクシングを得意としており、新時代の空気も流れていた。

サリバン 墓92年9月、世界戦としては初めてグローブを使って行われた。まさに歴史的な一戦である。サリバンはゴングとともに得意の左右フックで迫るが、この日だけは勝手が違った。コーベットのテクニックに手こずり、自慢のパンチを当てることができない。こうしてラウンドは進み、21回、サリバンは一方的に打ちまくられ、失神してしまった。慢心から酒と女におぼれ、練習に手を抜いたツケは大きかった。あれほどの天下無敵の強者にも落日の時は訪れるのか。ファンは感傷的になって王座交代を見つめていた。と同時にサリバンには温かな拍手も送られた。

1918年2月2日、59歳で亡くなったが、ボクシングの夜明けに大きな貢献をした偉大なボクサーを誰もが惜しんだという。54年にボクシング殿堂入り。終身成績は38勝(33KO)1敗3分け。西部劇の余韻を残す名王者で、迫力満点の左右フックは今でも伝説の一つとして語り継がれている

文:津江章二

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