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BOXINGTIMES LEGEND vol.3
激動の1920年代を駆け抜けた英雄デンプシー
2015.04.30 update

ローリング・トゥエンティ(激動の20年代)。今から約100年前、混迷を極めた米国を象徴する言葉だろう。政治、経済などが大きく変化する中、スポーツ界も新たな時代に突入していく。人気を集めたのが大リーグとボクシング。そして、スーパースターの地位に着くのがベーブ・ルースと今回登場する元世界ヘビー級王者ジャック・デンプシー(米国)である。この2人は当時、大統領より有名だったという。デンプシーの好戦的なスタイルは米国人の気質とフィットし、〝マナッサの巨人殺し〟と表現された恐ろしいほどの強打が旋風を巻き起こした。

1914年、19歳でプロデビュー。当時、多くのトップボクサーは重心を後ろに掛けるアップライトで戦うのが主流だったが、デンプシーは前傾姿勢で戦った最初のボクサーでもあった。さらに相手を追い込むとき、体をローリングしながら接近。エイトロール(8の字)を描きながらKOパンチを急所にたたき込んだ。その迫力でランキングもグングン上昇。将来の世界チャンピオン間違いなし、との太鼓判を押された。

1919年7月4日、オハイオ州トレド。独立記念日に初のタイトル挑戦が実現した。時の世界ヘビー級王者は〝マンマウンティン〟と呼ばれた白人の巨漢、ジェス・ウィラード(米国)。リングに上がった両者を見て、会場内には思わず失笑がもれたという。

ウィラードは身長2メートル、体重110㌔。それに比べデンプシーは身長で15センチ、体重では25㌔も劣っていた。「これでは勝負にならない。ウィラードの勝利は間違いないだろう」。ファンの多くはそう感じていた。しかし…。ゴングが鳴るとデンプシーの独壇場だ。マネジャーのジャック・カーンズから「初回にKOしないとファイトマネーはゼロ」と伝えられており、デンプシーはラッシュをかけた。得意のデンプシーロールを駆使し、何と7度もダウンを奪った。

240ウィラードは2回のゴングに応じたが、デンプシーの波状攻撃を浴び、3回が終わったところで試合をギブアップした。ウィラードはアゴを7カ所も砕かれ、歯を数本折られ、耳の聴力もかなり低下したという。凄まじい王座交代劇は〝トレドの惨劇〟として語り継がれている。

頂点に駆け上がったデンプシーだが、人気者のウィラードを徹底的に痛めつけたこともあり、まだ評価はそう高くなかった。男は黙って勝負する。デンプシーは防衛戦で強さをいかんなく発揮、国民的英雄の座を勝ち取っていく。

1921年7月、三色旗の誇り、ジョルジョ・カルパンチェ(フランス)を4回にKO。1923年9月には〝パンパの野牛〟と呼ばれたルイス・フィルポ(アルゼンチン)と死闘を展開、初回にはロープの外に吹っ飛ばされ、記者席に落下したことも。大ピンチに立たされたが、気迫で反撃に転じ、2回KOに仕留めた。王者のプライドは並ではなかった。

その男に強烈なライバルが現れた。海兵隊出身のジーン・タニー(米国)で、1926年9月、思わぬ判定負けを喫し、王座から転落した。リベンジに燃え、1927年9月、シカゴで再戦に臨んだ。しかし、予想はデンプシー不利。それだけタニーのテクニックは冴えていた。この試合は何から何までスケールが大きかった。7000人近い警官と兵隊が配備され、集まったファンは楽に10万人を越えた。リングサイドにはトンプソン・シカゴ市長のほか、ギャングの帝王アル・カポネも姿を見せていた。

デンプシーは6回までパンチをかわされ劣勢。そして7回、歴史的なシーンが訪れる。デンプシーは左フックを決め、ダウンを奪った。このとき、新ルールを忘れ、中立コーナーに行くのが遅れた。タニーはカウント9でようやく立ち上がったが、既にダウンから14秒が経過していた。ルールを守ればKOで王座奪還に成功していのに…。これが有名な「ロングカウント事件」で、結局、デンプシーは判定で敗れた。

タニーに連敗。現役生活は事実上の終わりを迎えた。引退後はニューヨークに自分の名前が付いたレストランを経営、世界中のファンが料理を楽しんだという。戦績は62勝(50KO)6敗9分け6無効試合。1983年5月、心臓病のため87歳の生涯を閉じた。時代を築いた強打のボクサー人生は、「拳聖」として称えられている。

文:津江章二

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