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BOXINGTIMES LEGEND vol.6
ジンクスを打破したリングの紳士、パターソン
2016.04.02 update

ヘビー級には長々と続く一つのジンクスがあった。「彼らは帰ってこない」。一度世界タイトルを失うと王座返り咲きが実現しないという意味である。名王者と誉れ高いジャック・デンプシー、ジョー・ルイス(ともに米国)らも涙をのんできた。そのジンクスを初めて打ち破ったのが黒人パンチャー、パターソンだ。五輪金メダリストからプロに転向、ここでも頂点に駆け上った。典型的なエリートボクサーにも思えるが、実際は波乱万丈のドラマを歩んでいる。1950年代から70年初頭にかけ、その存在感は抜群である。

d0d354668f69293e040aa69de3140c78_XLパターソンは35年1月4日、ノースカロライナ州ワコールに生まれた。一家はすぐニューヨークの貧民街ブルックリンに移り住む。何度も警察の世話になる問題児だったが、ボクシングと出会い別人に変身。ひたすら汗を流した。2年連続でニューヨーク州ゴールデングローブを制した後、52年ヘルシンキ五輪に出場、ミドル級で金メダルを獲得した。経歴は文句なし。将来の世界王者候補として勇躍プロ入りを果たした。

52年9月、デビュー戦を2回KO勝ちで飾る。54年6月、前世界ライトヘビー級王者ジョーイ・マキシム(米国)に初黒星を喫するが、それ以外は連戦連勝。いつの間にかヘビー級の世界ランクに名を連ねた。56年11月、ロッキー・マルシアノ(米国)が引退した王座をライトヘビー級の伝説王者アーチー・ムーア(米国)と争った。悔しいが予想はムーア有利。「リング上で答えを出すしかない」。闘志を隠し、静かにゴングを待った。

試合当日、シカゴ・スタジアムには約2万人のファンが集まった。ムーアは重い左右フックを振りましてくるが、スピード十分の動きでかわし、逆に的確なワンツーを決めた。そして5回、左フックで立て続けに2度のダウンを奪い、ムーアをKO。ヘビー級史上最年少の21歳10カ月で快挙を達成した。この記録は86年、マイク・タイソン(米国)に破られるまで30年以上も歴史に刻まれ、新たなページがめくられた。

pattersonmoorefightマネジャーは敏腕カス・ダマト。最高のハンドラーに恵まれ、4度の防衛に成功。59年6月、5度目の相手に迎えたのが欧州の強豪、インゲマル・ヨハンソン(スウェーデン)だった。ヨハンソンは奇しくもヘルシンキ五輪のヘビー級銀メダリスト。3回、実に7度のダウンを喫し、KO負け。意識が遠のく中、虎の子のタイトルを失った。さらにヘビー級には「王者は戻ってこない」というジンクスがある。意気消沈したのも当然だろう。

翌60年6月、ニューヨークのポログラウンドで再戦に臨んだ。パターソンは「相手の研究をし尽くした。もう絶対に負けることはない」と必勝のリングに上がった。5回、連打でダウンを奪った後、強烈な左フックでKO勝ち。鮮やかな展開でジンクスをも打ち破った。この一撃は「ガゼルパンチ」と呼ばれ、パターソンの得意技の一つ。カゼルとはカモシカという意味。俊敏性が求められ、ジャンプするような形で放つフックとアッパーの中間のようなパンチのことを指す。こうして歴史を塗り替えた。

2度防衛したが、ひそかに怪物が浮上していた。黒人スラッガーのソニー・リストン(米国)は、刑務所上がりのファイターで実力は筋金入り。62年9月、初回KO負けで王座を失い、リターンマッチでも1回KO負け。周囲からは引退の声がささやかれた。それほどリストンのパワーは別格のものがあった。しかし、「世界はまだあきらめない」とグローブを壁には吊さなかった。

patterson_ali_main_abh8ibbu_gslwbjh265年11月にはモハメド・アリ(米国)に挑戦したが、いいところなく12回TKO負け。アリのスピードにほんろうされた。さらに68年9月、ジミー・エリス(米国)の王座にも挑んだが、判定負け。これが最後の世界戦となった。戦績は55勝(40KO)8敗1分け。引退後は温厚な性格が人望を集め、ニューヨーク州体育委員会のコミッショナーに就任した。人種差別がまだ激しい時代、白人からも尊敬された希有なボクサーだった。2006年5月、71歳で死去した。

文:津江章二

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