Boxing Times

legend

BOXINGTIMES LEGEND vol.7
天才アリが戦い続けた74年、人種差別、ベトナム戦争、史上最強ボクサー説…
2016.07.22 update

長いボクシングの歴史を飾る偉大なる拳雄、モハメド・アリが亡くなって1カ月以上が過ぎた。米国だけではなく、世界中のメディアがあふれるほどの情報を熱く発信。あらためてその凄さがクローズアップされた。私は1960年のローマ五輪で彼を知り、その後、ウォッチングを続けた。アリを学ぶことで、米国社会の深層に気付いた。と同時にボクサーとしてアリが史上最高にして最強であることを確信した。アリこそ「ザ・レジェンド」(これぞ伝説)という言葉が最もよく似合う。まさに希代のスーパースター。同世代に生きたことに感謝の一言である。

運命を変えた金メダル

3. A 12 year old Muhammad Ali when he was known as Cassius Clay42年1月17日、ケンタッキー州ルイビル生まれ。本名はカシアス・マーセラス・クレイ。父は看板書きの職人で、母には白人の血が流れていた。黒人の中流家庭で育ち、聡明で明るい少年だった。ある日、愛用の自転車を盗まれ、「見つけ出して殴り倒す」と息巻いた。話を聞いた警官は偶然にもボクシングのコーチを務めていた。「坊や、そんなに殴りたいならボクシングというスポーツがあるよ」と諭したという。実は警官ジョー・マーチン氏はクレイのように向こう気の強い人材を探していた。「この少年だ!」。白羽の矢を立てられ、この道に引きずり込まれていく。

各種ジュニア大会で優勝を重ね、ローマ五輪の代表に選ばれた。少年には夢があった。もし金メダルを獲得したら、レストランで普通の食事ができるのではないか。当時、人種差別が激しく、黒人は冷遇を受けていたのだ。クレイは晴れてライトヘビー級で優勝。金メダルを手に勇躍帰国した。そして、レストランへ向かった。ところが店のマスターにこう言われた。「黒人に食べさせるものはない」。クレイは目が覚めた。これではメダルの意味がないと怒り狂い、オハイオ川に投げ捨てた。反逆のドラマが幕を開けたのである。

ベトナム戦争の徴兵拒否

60年10月、プロ転向。抜群のスピードで白星街道を驀進する。ヘビー級とは思えぬ出色のテクニックが光り、64年2月、無敵王者ソニー・リストン(米国)に挑戦する。リストンは史上最強のハードパンチャーと評価が高く、予想は大半がクレイのKO負け。ところが…。世紀の番狂わせで6回終了TKO勝ちを収めた。一気に頂点に駆け上り、まくしたてた。「おれがグレーテストだ。世界一だ」。タイトル獲得後、名前をモハメド・アリに改名した。新時代の到来である。

防衛戦を順調に消化。67年3月、9度目の防衛に成功した。その直後、「何の恨みもないベトコンと殺し合うことはできない」とベトナム戦争への徴兵を拒否。政府から告発され、世界タイトルをはく奪された。ボクサーとしての全盛期にすべてを失った。しかし、アリはあきらめなかった。3年後、大国の正義を打ち崩した。こうしてカムバック。その後の活躍はヘビー級史に燦然と輝く。特に74年10月、怪物ジョージ・フォアマン(米国)をKOした「キンシャサの奇跡」は圧巻のドラマ。アリの凄さが集約されている。

ali-v-foreman-1200x844

史上最高にして最強

cassius clay May 17 1962052_2ボクシングファンにとって究極のテーマがある。全世代で階級を飛び超え、誰が一番強いのか。パウンド・フォー・パウンド(体重同一時)の王者を選ぶことだ。フライ級からヘビー級まで。古今東西、名ボクサーの名前が連なる。その中、「最高にして最強」は2人に絞られているといっても過言ではない。ウエルター級からミドル級で時代を築いたシュガー・レイ・ロビンソン(米国)の実績は抜きん出ている。アリかロビンソンか。ある意味、答えのないテーマだからこそ世界中で今でも熱い議論が続いている。

私の結論は「アリ」で揺るがない。もちろんロビンソンの強さは十分に分かっているが、アリは特別なのだ。ヘビー級に革命をもたらしたスピード。あのスタイルを打ち破るボクサーは考えられない。おまけにリストンとの初防衛戦で披露した右ショート一発。さらに随所で見せてくれた下がりながらのワンツー。それは芸術だと感じた。

2016年6月3日(日本時間4日)、アリは永遠の眠りについた。享年74歳。これからもアリの偉大さは語り継がれていくだろう。それがボクシング界最大の財産に対する「礼儀」ではないだろうか。

文:津江章二

Recent Post